地御前神社


厳島の対岸、明神山の社叢を背にして
鎮座する地御前神社。
周辺の町並みには、古き時代をしのばせる
風情に満ちた格子や白壁が残っている。

宮島の対岸、かつて波打ち際の松林があった場所に、老松に囲まれるようにひときわ大きな社殿。国道2号線、広電宮島線とJR山陽本線に挟まれて建つ地御前神社。古くは厳島神社の外宮と称された大社である。
本来厳島は島全体が聖地と見なされ、人が住むことは禁じられていたので、対岸に遥拝のために建築物が造られ、そこから発展したともいわれているのが今日の地御前神社である。

スポット情報
所在地: 

廿日市市地御前五丁目

お問い合わせ: 

TEL (0829)36-0795

アクセス: 

車: 国道2号線を地御前方面へ、地御前漁港そば
広電: 地御前駅下車、徒歩約5分
バス: 地御前神社前下車、徒歩約1分

もっと詳しく


今から1000年前、当時の人は
この地方で最も美しい海岸は
地御前だと思っていたという。
天保6年(1835)の
厳島図会には、その地御前の
浜の絵図があり、拝殿は
海に突き出た石垣の上に、
その前の海中に、現在の
大鳥居と同じ形式の鳥居が
あったことなどが分かる。

仁安3年(1168)、平清盛の支援により厳島神社と同様、現在のような社殿が修造された。祭神は厳島神社と同一神の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)である。当時、国府から厳島へ渡ることが難しく、陸沿いに地御前神社まで来て海中の鳥居から参拝していたという。江戸時代の様子を描いた「厳島図会」には、海の中に鳥居が描かれている。

明治までは外宮と称し、地方(ぢかた)にあることから地ノ御前社、地御前神社と呼ばれるようになった。現在の大宮社、客人社の神殿は宝暦10年(1760)の再建だが、平安期の社殿様式を今に伝える貴重な建築物である。


宝暦10年(1760)、
材木入札場の役人が地御前神社に寄進し、
今も拝殿に残る「材木入札場の絵馬」。
活気あふれる入札場の状況、
当時の風俗を知る上で貴重な資料。

祭礼行事も多くあるが、旧暦6月17日に行われる管絃祭(かんげんさい)は御座船が厳島神社から地御前神社に渡り、還幸するもので、多くの参詣客で賑わう。

また、藤原親実(ちかざね)が厳島神社神主職に任命され、以来320年余藤原氏が桜尾城に居住したことから、鎌倉武士の武芸の一つ流鏑馬(やぶさめ)が神事として導入され、旧暦5月5日に行われる御陵衣祭(ごりょうえさい)の「馬とばし」になったと伝えられる。

神社の拝殿は国道2号線そばであるが、車の往来が激しい国道はかつて海であった。

主な年間行事

旧暦5月5日 - 御陵衣祭
旧暦6月17日 - 管絃祭

主な文化財

材木入札場の絵馬

記載にあたり、以下の文献等を参考にさせていただきました。

『廿日市町史 通史編(上)・(下)』(廿日市町編集・発行)
『廿日市の歴史探訪 1~3』(石田米孝著・渓水社)
『図説 廿日市の歴史』(廿日市市編集・発行)
『廿日市町の文化財』(廿日市市教育委員会編)
『ロマンのこみち』(廿日市市郷土文化研究会発行)

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