折敷畑古戦場跡


折敷畑山は御手洗川と可愛川の間にあり、
宮内地区の西部を占める標高366mの山。
翌年の厳島合戦でも勝利を収めた元就は、
弘治3年(1557)には大内氏を滅ぼして周防・
長門を領国化し、戦国大名として成長していく。

天文23年(1554)、毛利氏と陶氏が断交後初めての戦いを繰り広げた古戦場跡。

陶氏と断交して自立を決意した毛利元就は、廿日市に兵3千を進め、桜尾城を本営とした。これに対し、陶晴賢は家臣の宮川甲斐守房長に7千の兵を授けて安芸に向かわせ、陶軍は桜尾城を見下ろす形で折敷畑山に布陣。
6月5日、山麓の両軍は衝突。毛利軍の奇襲によって陶軍は総崩れ、宮川甲斐守は討死した。合戦の跡を示す標柱が、歴史の流れを静かに物語る。

スポット情報
所在地: 

廿日市市宮内東谷

お問い合わせ: 

TEL (0829)31-5656
(廿日市市観光協会)

駐車場: 

黒折橋先に駐車スペース有り。

アクセス: 

車: 西広島バイパス経由、宮内交差点を佐伯町方面へ約15分。登山道を徒歩約1時間。

 

もっと詳しく

コラム 元就・晴賢が雌雄を決した厳島合戦

陶晴賢は折敷畑の合戦には出陣しておらず、いわば両軍にとっての前哨戦であった。翌年、弘治元年(1555)9月、晴賢は2万7,000人の大軍を率いて進撃。対する毛利軍はわずか4,000人の軍勢。数において劣る毛利軍は、陶軍の大軍を狭い厳島に集めさせ撃滅させる作戦を取る。10月1日未明、毛利軍は地御前火立岩から夜陰にまぎれて厳島に上陸。陶軍本陣のある塔の岡に攻め入った。不意を突かれた陶軍はなすすべなく破れ、晴賢は厳島で自刃し、元就は桜尾城に凱旋した。

記載にあたり、以下の文献等を参考にさせていただきました。

『廿日市町史 通史編(上)・(下)』(廿日市町編集・発行)
『廿日市の歴史探訪 1~3』(石田米孝著・渓水社)
『図説 廿日市の歴史』(廿日市市編集・発行)
『廿日市町の文化財』(廿日市市教育委員会編)
『ロマンのこみち』(廿日市市郷土文化研究会発行)

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