西国街道


町屋が斜めに構え、道がカクカクと曲がった遠見
遮眼(とおみしゃがん)など、廿日市地区界隈には
昔をしのぶことのできる町並みが残る。

西国街道(旧山陽道)は、江戸時代の幕藩体制の確立による公道の整備によってできた街道である。江戸時代の主要街道のひとつで、五街道に次いで重要性の高いものであった。大阪から長崎に通じる中国路を連ねる長距離の街道だった。この間に51の宿駅があり、そのひとつが廿日市の宿駅であった。

西国街道が廿日市領内で整備されたのは、寛永10年(1633)のこと。道の両側にはたくさんの松の並木が植えられ、街道に風情を添えて、旅人を楽しませたという。松並木には、夏は緑陰の下に休息の便を演出し、冬は風雪を防ぐ役割もあった。

同12年から制度化された参勤交代などをきっかけに、街道筋の整備が進められていった。毛利輝元による広島城下町の建設が、古来からの山陽道のコースを大きく南下させ、城下から己斐(こい)村を経て、廿日市へと沿岸部を通る近世の西国街道の形成を促したといわれる。

かつては美しい松並木の風情を育てていたが、残念ながら現在、その風情はすでにない。大東から可愛川に至るまで、独特のカクカクと曲がった古い町屋が残り、往事の街道の名残をわずかにかいま見ることができる。

400年近い歴史がある、江戸時代の生活と文化を支えた重要な道。最近ではこの西国街道を見直すことが盛んになり、観光ボランティアガイドによる街道・史跡案内や、西国街道マップも発行されている。

スポット情報
お問い合わせ: 

TEL (0829)31-5656
(廿日市市観光協会)

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西国街道は寛永年間に
道幅二間半(約4.5m)と定められ、
一里(約4km)ごとに一里塚を
立てたり街道松を植えるほか、
宿駅や茶屋の充実を図るなど
体裁を整えていった。
佐方と宮内の2箇所に、かつて
一里塚があったことを示す
石碑が立てられている。


広島藩は寛永10年(1633)、
幕府巡見使のために街道の整備を行い、
道の両側に松並木を植えた。
江戸時代を通じて整備された街道松も、
現在では1本を残すのみとなった。
 
 

西国街道沿道史跡案内

  • 西国街道一里塚跡 (3里) - 佐方本町
  • 西国街道一里塚跡 (4里) - 宮内針田
  • 西国街道松 (市指定文化財) - 桜尾本町
  • 津和野藩御船屋敷跡 - 桜尾本町
  • 稲生社 - 桜尾本町
  • 廿日市本陣跡 (市指定文化財) - 天神

廿日市市域の西国街道は、佐方の一里塚を起点に、広電平良駅、JR宮内串戸駅周辺を経由し、御手洗川に沿って大きく迂回した後、山陽自動車道沿いに大野町へと抜けている。一里塚跡から廿日市公民館に至るまでの間に、かつてをしのぶ史跡が数多く点在している。

記載にあたり、以下の文献等を参考にさせていただきました。

『廿日市町史 通史編(上)・(下)』(廿日市町編集・発行)
『廿日市の歴史探訪 1~3』(石田米孝著・渓水社)
『図説 廿日市の歴史』(廿日市市編集・発行)
『廿日市町の文化財』(廿日市市教育委員会編)
『ロマンのこみち』(廿日市市郷土文化研究会発行)

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