
7世坊守の渡辺英子は
若い頃から歌道に優れ、
上京の祭に烏丸大納言への
出入りが認められた。
寛延3年(1750)正月、宮中の
歌会への出席が許されて詠んだ
「石の袋」の題詠の褒美として、
霊鑑寺真宗宮から
「天満宮」の勅願を賜わった。
女性として
県下初の私塾を開くなど、
英子は教育面でも活躍した。
天文15年(1546)、鎮光坊円尊によって開基。円尊は毛利元清の家臣・渡辺清正といわれる。円尊は嫡子の早世に悲嘆し、京都西本願寺で剃髪、鎮光坊円尊の法名と阿弥陀尊影を賜った。草庵が火災の際、尊影が不思議な現象のもとに類焼を免れたことが世に伝わり、護念山浄厳寺の廃跡を与えられ一寺を建立。のち光明寺の寺号が与えられた。
境内には、女性で県下初の私塾を開設した7世坊守・渡辺英子(えいし)ゆかりの桜の木や、この地方で最初に行われた人体解剖の碑がある。















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